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「小さな助け合いの物語賞」受賞作品
第16回 ハートウォーミング賞作品・入選者
人の心を満喫した日
梶間 憲幸(岐阜県)
色づいたもみじ、澄み渡る空気、遠く広がる青空。県外からの登山客も多いその人気スポットを登ると、それら全てを満喫できた。幼い娘も父親の私も大いに満足した。加えて、心地よい汗に頂上でのおいしいお弁当。素晴らしい一日だった。あんな事故さえなければ。
それは下山途中でのことだった。ごきげんな娘はお気に入りのアニメソングを口ずさんで、覚えたてのスキップで跳ねていた。すると勢い余って、草むらへすってんころりん。数瞬後、草に埋もれたまま娘が大泣きした。
泣きながら四つんばいで登山道へ戻ってくると、私の目に赤い血が飛び込んできた。娘のハーフパンツから伸びた右足のふくらはぎと白い靴下が、赤く染まっていたのだ。鋭利な何かで切ったのか。とっさに私は、ハンカチをふくらはぎに押しあてた。けれど血は止まるどころか、みるみるハンカチまで赤く染めた。ドクドクドク。血の流れる音まで聞こえそうだ。どうしよう、誰か、誰か助けて。
その時だった。「オー、ノー」と、異なる言語を発した男性が、娘のそばにしゃがんだのだ。えっ、誰なの、何するの。助けてほしかったはずの私は、たじろいだ。男性は左腕を骨折していたのか、ギプスを巻いて首から三角巾でつるしていた。なのにためらわずにその三角市を首から外して、娘の右足の付け根に巻いたのだ。そして右手と歯を使って、ぎゅっと縛ったのだ。程なく血は止まった。
娘は泣き続けていたが、こんな止血方法があったのかと私は驚いた。でももっと驚いたのは、けが人の男性がけが人を助けたことだ。自分を機牲にするとは。果たして自分にできるだろうか。男性に敬服した私は、深く頭を下げた。同時に自分を恥じた。言語の違いで、良くない人かもしれないと邪推したからだ。
一向に泣き止まない娘を見て、男性はポシェットから指人形を取り出し、娘の人差し指にかぶせた。指人形の顔は、先程娘が口ずさんでいたアニメソングのキャラクターだった。娘は泣きながら笑い、指人形と私の顔を交互に見た。もらっていいのかと、目で私に尋ねたのだ。普段「悪い人から物をもらうな」と言い聞かせていたためだ。大事な三角巾で人助けをした男性が、悪い人のはずがない。私が首を縦に振ると、娘はとびきりの笑顔になり指人形をはめた人差し指を突き出して、男性の人差し指と指タッチをした。感謝の印だ。男性は「ウィアーフレンズ」と笑顔で言った。
体のケアだけでなく、心のケアまでしてくれた男性。偏見なく娘を助けてくれた。笑顔にしてくれた。見返りも求めずに。相手を優先した自己犠牲の優しさに、私の心は洗われた。山に来た時よりも清々しくなった。結局、この日私が満喫したのは、山の風景よりも人の美しい心だった。私もいつか誰かを助けたい。笑顔にしたい。優しくありたい。彼のように、身を挺してでも。そう心に誓った。


