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「小さな助け合いの物語賞」受賞作品
第16回 ハートウォーミング賞作品・入選者
少しの勇気
後藤 里奈(東京都)
それは、溜まりに溜まった心の叫びだったのだろう。
「どうしてなんだ......!」
男性は、そう叫んで座り込んでしまった。傍には白杖が無残にも転がっている。何があったのだろう―。
ある昼下がりの駅のホーム。ただならぬ雰囲気に、私は思わず足を止めた。声を掛けるべきか......。だが、明らかに取り乱した様子の男性に掛けるべき言葉は見つからず、勇気もない。周囲には、そんな彼の存在にはまるで気づかないように通りすぎる人、蔑みの目で見る人、戸惑いながら男性を避けるように通っていく人たちがいる。私はどうすることもできず、遠くから男性の様子をうかがっているだけ。このなかで、もっとも冷酷なのは自分であるような気さえしてきた。
すると、近くを年配の女性が通りかかり、男性を心配そうに見つめながら足を止めた。
彼女も、男性に声を掛けようか迷っているようだった。お互い目が合い、「どうしたんでしょうね。」と二人でまた男性の方に目をやった。まだ立ち上がろうとせず、何かに打ちひしがれているようにも見えた。このまま様子をうかがっているだけでは、状況は変わらないだろう。
「どうされたんですか?」
私たちは思い切って声を掛けた。男性は少し驚いたように顔を上げ、落ちていた白杖を手渡すと静かに受け取った。
「すみません。白杖を落としてしまい、方向が分からなくなってしまって......。」
どうやら、混雑するホームで誰かとすれ違った際、ぶつかって白杖を落とされてしまったらしい。白杖は視覚障がい者にとって、危険から身を守ってくれる大切なツールだ。ぶつかった相手は、謝ることもなく去っていってしまったらしい。方向を見失い、困っているのに誰も助けてくれない―。きっと、このようなことは今回だけではなかったのだろう。
男性は心細さと怒りでパニックになってしまったそうだ。
自分も同じような状況になったら......。と考えると、いたたまれなくなった。それでも、声を掛けてもらい、事情を話せたことで少しは安心したのだろう。男性は徐々に落ち着きを取り戻していった。女性と一緒に改札まで案内し、見送った。別れ際、「ありがとうございます。あなたたちは救世主です。」と笑顔で言ってくださった。
だが今回、私にとっての救世主は偶然居合わせた女性だった。彼女がいなければ、私は男性に声を掛ける勇気を持てなかっただろう。また、男性の話を聞けたことで、目の不自由な方の心の内も知ることができた。
生身の人間とのつながりが希薄になりつつある今、困っている人に手を差し伸べることは案外簡単なことだった。必要なのは、想像力と少しの勇気。次は、ためらわずに誰かを助けられるようになりたいと思う。


