小さな助け合いの物語賞

《一般部門》

入選(3編)

ドア持ち王子

亀田 恵美子(兵庫県)

町を歩けばたくさんのドアを通り抜ける。

都会の場合、多くは横開きの自動ドアであるが、押したり引いたりして手で支えながら通るドアもよくみられる。そしてこの手のドアは往々にして重い。

たいして荷物のない元気な人にはなんのこともないだろう。しかし両手が大きな荷物でふさがれている時やご高齢で手の力が弱っている方、そしてベビーカーを押しながら通る場合などには大変なのである。

しかし、日本ではほとんどの場合、後から来る人のためにドアを支え続けようとはしない。それどころか後ろを振り向きもしないのだ。自分だけが通り抜けられたらそれでいいということのようだ。きれいに着飾ったお嬢さんや立派な身なりの年配者でもそうなのだからがっかりしてしまう。

ちなみにパリのメトロの入り口などではこの手のドアをよく見かけるが、ほとんどの人が後ろを振り向き、後続の人のためにドアを支えて待ってくれる。それがマナーなのだろう。日本とは全然違うことに驚いた。

さて、ある時私は自分の町の鉄道駅に併設された駅ビルから外へ出ようとしていた。私の少し前には歩く三歳児をかたわらに連れ、ベビーカーを押す若いお母さん。そのまた前方には少々不良っぽく見える若者数人が、ふざけあってお互いに小突きあいながら歩いているのが見えた。そして彼らはドアを開けて外に出つつあるところだった。

駅ビルのドアは例の押し支えながら通過するタイプのドアでやたらと重い。それを知っていた私は若者たちが出たあと、ベビーカーの親子のために先に行ってドアを開けておいてあげようと急ぎかけたその時。

若者グループの一人、髪を金色に染めた青年がドアを通り抜けつつ振り返り、親子に気がつくと軽やかな身のこなしでドア脇に寄り添うように立ちベビーカーの親子を先に通してくれたのだ。

彼の様子から、この若者はいつもこうしているだろうことが見てとれた。彼にとっては当たり前のことなのだろう。きっと良いご家庭できちんと育てられた子に違いない。その派手な服装や髪型から一瞬でも偏見を持った自分を私は恥じ入った。

ドアを支えてもらえて、ベビーカーの親子は楽に外に出られた。そしてお礼を言ったお母さんに少しはにかんで笑う金髪君はまるで素敵な王子様のように見えたものだ。

ドア持ち王子。

ほんの小さいことで人は助け合える。かかる時間はわずかでもその行為で周りの人をとても楽にしてあげるお手伝いが出来ることもあるのだ。

助け助けられ双方の心が温かくなる。そんな素敵な場面が町なかのあちこちにあるように、周囲への想像力を持つことはいつも忘れないでいたいと思う。

(原文のとおり掲載しております。)