小さな助け合いの物語賞

優秀賞(2編)

誰かのためには自分のために

山極 尊子 (埼玉県)

「日本語を教えてくれませんか」

8年前、ソウルにある小さな日本語教室にやってきたのは、齢50を過ぎたタクシー運転手さんだった。

その頃、私は東京で勤めていた会社を辞め「自分にしかできない何か」をみつける為、韓国の大学院で教育学を専攻しながら、アルバイトで日本語を教えていた。

彼はキルと名乗り

「最近日本のお客様がたくさんいらっしゃるので、安心してタクシーに乗って頂けるよう日本語を勉強したい」

と嬉しそうに話した。

私は正直無理だと思った。初めは張り切って日本語を教えていた私だが、その内、日本語を教えることに対し諦めのような感情が生まれていたのだ。なぜなら生徒の皆が初めは張り切って日本語を勉強しに来るのだが、だんだんと休みがちになり来なくなってしまう。

「若い子や時間がある方が来ても続かないのに、タクシーの仕事で忙しい彼が仕事の合間に来れるわけない」

やりがいを見失っていた私は、キルさんの事をどこか冷めた目でみていたのである。

次の日。30分前に教室を覗くとユニフォームに身を包んだキルさんが必死にノートにひらがなを書いていた。いつまで続くものかと見ていると、次の日も次の日も彼は仕事の合間にやってきては誰より熱心に日本語を勉強して帰っていく。

そんな彼を見て私はどうせ来なくなるだろうとやる気のなかった自分が急に恥しくなった。キルさんは私を信頼しているのだ。私も頑張らなければ・・・。

彼の思いに奮起された私は、それから授業時間以外にもボランティアで彼に日本語を教えるようになった。そして日本から家族が来る度に、彼のタクシーに乗って日本語で色々なところを案内する実践練習も行った。

私の家族も事情を聞き喜んで協力した。キルさんは年齢的にも日本語の習得に時間はかかったが、それでも私たちは決して諦めなかった。家族総出であの手この手で日本語を教え続けたのだ。

こうして1年、2年が過ぎ、8年の歳月が流れた。続ければ夢は叶うもの。

今、キルさんは流暢な日本語で多くの日本のお客様を案内している。

「先生!貴方のタクシーに乗って本当によかったと言ってもらえました!日本の方に最高のサービスをすることが、先生とご家族の皆様への恩返しだと思っています」

その言葉を聞くたびに、私は私が教えた日本語がキルさんの為になり、それがさらには私の知らない誰かの役に立っているという事実に嬉しくなる。

各言う私も彼に日本語を教えることで「自分にしかできない何か」の答えとやりがいを見つけることができた。誰かを助けることは、自分のためにもなるのだということを私はキルさんから教えてもらった。

今、私は日本語を教える傍ら、金銭的な事情で語学を学べない韓国のタクシー運転手さん達を集めボランティアで日本語を教えている。時間はかかるかもしれない。それでもいずれ私の小さな行為が糸となり紡がれ、ゆくゆくは誰かの役に立つことを心から楽しみにしている今日この頃なのである。

(原文のとおり掲載しております。)