小さな助け合いの物語賞

入選(5編)

幸せへの第一歩

村田 かほり

その日私はソウル近郊のバスターミナルで右往左往していた。目の前のハングルの案内板は全く読めない。何とかなるだろうとターミナルまで来たものの、どれに乗れば良いのか全く分からず、時間ばかりが過ぎていた。

『どこへ行きますか?』突然人の良さそうなおじさんが、声を掛けてくれた。え?日本語?藁にもすがる思いで尋ねた。『あの、独立記念館に行きたいのですが、どう行けば…?』『ああ、そこなら途中まで一緒に行ってあげますよ。』おじさんはにこにことバス乗り場へ案内してくれた。

その人は池さんと云った。大学生と高校生の子どもがいる、と話してくれた。『韓国語は全然分からない?それなのに一人で韓国来たの?私は前に少し日本に住んでたですよ。だから日本語、大体分かります。言葉分からないとすごく困りますね。』バスが動き出すと池さんがあれこれと話しかけてくれた。『私、家に帰る途中。でも急いでいない。私も一緒に行ってもいい?』こちらの方こそありがたく、是非にと一緒に行って頂くことになった。

独立記念館は韓国の歴史について知ることが出来る、博物館のような所である。ハングルの説明文を、池さんが丁寧に解説してくれた。李氏朝鮮などかつての朝鮮王朝を知ることが出来る一角に続き、大半は先の戦中の日韓の悲惨な歴史を、事細かに知らしめるような構成になっていた。

『これに説明は要りませんね。』池さんが言葉を飲み込むように云った。それは旧日本兵が韓国の女子学生を拷問しているシーンを再現した、惨たらしい展示の前だった。『…本当にこんなことを…?まだ子供なのに…。』私は目の前の展示を直視できなかった。全てを見終わって外に出た私たちは、重苦しい空気の中押し黙ったまま歩き出し、そのままバスの中でもほとんど言葉を交わさなかった。

『日本に帰ったら是非お礼をさせて下さい。』別れ際、おずおずとそう申し出た私に、池さんが笑って云った。『お礼?必要ないね。私も前から行きたいと思っていたところ。だからお礼なんか要らない。』『そんな訳には行かないです。こんなに親切にして頂いたのに。』そう云う私に、池さんが笑いながら云った。『いつか日本を旅行している外国人を見かけたら、声をかけてあげて下さい。もしかしたら困っているカモ知れない。是非手を差し伸べてあげて下さい。その人はきっと日本を好きになる。みんながそうすれば、みんなが色んな国を好きになる。そうすればいつかみんなが平和に暮らせる、幸せな世の中になる。』

『手を差し伸べる』子どもの頃から言い聞かされて来た言葉のその真意を、それまで深く考えたことはなかった。それがどういうことで、具体的にどう行動することなのか、そしてその行く末にあるものとは…。

『手を差し伸べる』ことは幸せへの第一歩、今改めてその事を強く感じている。

 

(原文のとおり掲載しております。)