小さな助け合いの物語賞

入選(5編)

たくさんの人へ『ありがとう』

藤本 かほる

「大丈夫ですか!?」

背後から聞こえた叫び声に振り返ると、そこに倒れていたのは私の夫だった。

夫婦で観光名所を堪能し、そろそろ帰ろうかと話した矢先の事だった。うつぶせに倒れた夫は意識が無く、顔から血を流し体を硬直させたまま激しく痙攣していた。

静かな観光地があっという間に騒然となった。目の前の状況が全く理解出来ない。ほんの数分前まで笑って話していたのに。人の波に押されながら、私は呆然とその場に立ち尽くしていた。

「ご家族の方はおられますか!?」

その声にハッとし、やっと夫に駆け寄った。横向きに寝かされた夫はいまだに意識が無い。痙攣も止まらない。出血も止まらない。一体何が起こったのか。急に恐怖が込み上げて来て、泣きながら夫を呼んだ。何をどうしたらよいのかわからない。そうだ…救急車を呼ばなければ…

「救急車、呼んだよ!お姉さん大丈夫!?」

一人の女性が私の肩を掴み、しっかりして!と揺すっていた。気が付けばたくさんの人が夫を囲み、タオルで止血したり「わかりますか!」と声をかけてくれていた。中には自分の洋服を血だらけにしながら介抱してくれている人もいた。

「どなたか!お医者さんか看護師さんはいらっしゃいませんか!」

名前も知らない女性が、人だかりに向かって大声で叫んでくれた。週末の昼。たくさんの好奇の目の中、女性はなおも大きな声で叫び続けてくれた。その声に男性が駆けつけ応急処置をしてくれた。ふっと痙攣が止まり、夫が目をあけた。ぼんやりと虚ろな目をしていたが、私の声に反応し小さく声をあげた。ちょうど救急車が到着し、無事に運ばれた。脱力しながらも、助けてくれた方々にお礼をと急いで振り返ったが、先ほどまでいた大勢の人たちは皆いなくなっており、最初と変わらない静かで綺麗な景色がそこには広がっていた。

救急車で眠る夫の横で、血まみれになった女性の洋服を思い出していた。住所を聞くどころかお礼も言えなかった。いったいどれだけの人に助けてもらったのだろう。動揺し、全く何も出来なかった自分。もしも人気の少ない場所で同じように倒れていたら…と思うと背筋が凍った。検査の結果、異常は見られずとても安堵した。大きな感謝と共に、人の助けの有難さを身をもって体験した。

同じような場面に自分が出くわした時、あの女性のように大声を張り上げられるだろうか。自分の洋服を汚しながら人を介抱出来るだろうか。今回の出来事を通していざという時のために応急処置を勉強しようと強く思った。直接介抱出来ずとも、駆けつけて泣く人の肩を支えてあげられる優しい人間になりたい。たくさんの人に助けてもらったあの日を、私は絶対に忘れない。

 

(原文のとおり掲載しております。)