小さな助け合いの物語賞

入選(5編)

自然体で一声を

小林 光男

それは仕事帰りの駅のホームでのことだ。いつものように電車を待っていると、向い側のホームに停車していた当駅始発電車の横を歩いている、白い杖の老婦が目に入った。

 

電車に乗りたいのだろうかと様子を見ていると、サラリーマン風の男性が声を掛けたようだ。私は『あ〜良かった、男性の手助けで老婦は無事電車に乗れるだろう』と思い、その一部始終を見ていた。するとその老婦は、男性の手を振り払うかのような仕草でさっさと歩き出し、まるで怪しい声掛けには要注意の如く、男性を無視したのである。

 

男性は何事も無かったかのように、乗車する老婦を横目に歩き去って行った。見ず知らずの人に声を掛ける行為もなかなか出来ないことだと感心したが、その白い杖の老婦にはどうやらお節介だったようである。

 

幾日か経ったある日、私にも同じような場面がやってきた。それは職場近くのT字路交差点でのことだ。私が交差点手前に来た時、丁度横断歩道の信号が青に変わったので、我先にと慌てて渡ろうとしたその前に、白い杖の老父が渡ろうとしていたのだ。

 

私は一瞬どうしようかと迷った。声を掛けるべきか。いや、歩けるのだから大丈夫だろう。声を掛けて迷惑がられても・・・。駅のホームの光景が私の脳裏に蘇ったのである。その時だった。買い物袋を提げた女性が横からスーっと歩いてきて声を掛けたのだ。『大丈夫ですか、まだ信号は青ですからゆっくりで大丈夫ですよ』するとその老父は、『ありがとうございます。すみませんねぇ』と言っていた。少し経って後ろを振り返ってみると、その老父と女性は無事に道路を渡り、老父は何度も何度も頭を下げている様子だった。

 

恐らく誰も声を掛けなくても、老父は一人で横断出来たと思う。が、見ず知らずの人が他人の身の安全を心配してくれて、わざわざ声を掛けてくれたのだ。それが老父には、あまりにも有り難く、嬉しかったに違いない。

 

そう思うと私は、なんて愚かな人間なんだと自分を恥じた。なんで躊躇したのか、何も恥ずかしいことはないのに、声を掛けてやれなくて自責の念に駆られた。

 

殺伐としたニュースが多い昨今だが、人情味溢れる世の中は、一人一人の親切心のたった一言から始まるものかもしれない。その一言の勇気をほんの少し持てればいい。いや、大袈裟に勇気でなくても自然体でいい。親切心の気持ちを常に持った自然体でいいのだ。駅のホームの男性も横断歩道の女性も、咄嗟の出来事に自然と対応しただけに過ぎないと思う。そういうことが自然と出来る人間になりたいと、五十半ばの歳になって、今さらながら強く決意した。

 

また、逆に私が誰かに親切をして頂くこともあるかもしれない。その時は素直に『ありがとう』と、感謝の気持ちを言いたい。それがお互いに温かい気持ちになり、ちょっと小さな幸せを感じられると思うからである。

 

(原文のとおり掲載しております。)