小さな助け合いの物語賞

優秀賞(3編)

勇気を出して

山根 幸恵

トントントン。真昼間に駅の改札で私の肩を叩いたのは、全く知らない祖母ぐらいの年齢の女性だった。女性は右腕に三角巾を付けていた。

 

「はい?」と応えても何も返って来ない。「どうされました?」少し間が空いて、険しい表情をした女性は口を開いた。だが、全く聞き取れず、私は聞き返す。女性は一生懸命話そうとするが、私には全く伝わらない。どうやら女性は言語障害を患っているようだ。

 

どうしよう・・・。私は悩んだ。何度聞いても聞き取れず、言いたいことが分からない。色々尋ねても、首を縦に振っているのか横に振っているのかですら曖昧だった。筆談をしようにも右腕が不自由な様子。女性の険しい表情が段々と悲しい表情に変わる。

 

女性は自身がうまく話せないことを勿論分かっているだろう。それでも私に伝えたいことがあるから一生懸命伝えようとしている。それが伝わらなかったらきっと悲しい。私が想像する以上に悲しいし虚しいと思う。そう思うと何だか私がもどかしい気持ちになり、この女性の伝えたいことを理解したいと思った。うまく伝わるかも分からないのに、私の肩を叩くのにはどれだけの勇気が必要だったのだろうか。大きな勇気を振り絞った女性を強い人だと感じる。助けを求めることは恥ずかしいことでも弱いことでもないということを知った。

 

私は咄嗟に思い付き、女性の左手をそっと握った。「今から質問するのでイエスだったら、私の手を強く握って下さい。」そう女性に伝えた。「何か困っているから助けを求めていますか?」女性は力強く私の手を握る。「今からどこかに行くところですか?」女性は手を握らない。「では帰る途中ですか?」再び女性は私の手を握る。「もしかして道が分からないのですか?」手を強く握り締める。段々と女性の伝えたいことが分かってきた。女性の表情も明るくなる。

 

少し時間を要したが、質問を繰り返すうちに、女性の伝えたいことが理解出来た。病院からの帰りにタクシーを拾いたいが、乗り場が分からなかったらしい。私は女性を乗り場まで案内した。

 

女性はタクシーに乗り、住所が書いたキーホルダーを運転手に見せていた。ドアを閉める前に私の方を向き、左手を不自由な右手に近付けて合掌する。多分ありがとうと伝えてくれたのだと思う。言葉で伝わらなくても、表情や態度で気持ちが伝わった瞬間だった。とても温かい気持ちになれた。そんな気持ちを得られたのもこの女性に出会ったお陰。だから私も女性に合掌した。ありがとう。

 

解りたいという思いがあれば、人の気持ちは理解出来るものだと思う。言葉だけが気持ちを伝える手段ではない。言葉がなくても、きっと解ることが出来る。この女性にとって合掌するということがありがとうという意味のように。

 

(原文のとおり掲載しております。)