小さな助け合いの物語賞

優秀賞(3編)

想いを巡らせる

山田 真澄

ずっと長い間、誰かに助けてもらったらその相手にきちんとお礼をして、何かお返しをすべきものだと思っていた。母がさりげなくそんな風にしているのを見て、そういうものだと思っていた。

 

嫁ぎ先では、盆暮れの付け届け、出産や入学のお祝、お礼やお返しに至るまで、姑から厳しく躾られた。そして何の疑いもなくそれに従ううちに、お礼やお返しが滞りなくできているか、どの程度から必要なのか、思い悩むことがたびたび起こるようになっていた。

 

けれどある時、友人が私にくれた言葉が、私を因習の縛りから解放してくれたのだ。

 

私が子供を持ったのは、人より少し遅めの三十八歳の時だった。父は一年前に小脳出血で脳血管性痴呆症(当時。現認知症)となり、言語・身体にも障害が残ってしまった。母も既にアルツハイマー病になっていて、とても育児を手伝ってもらえる状態ではなく、主人の両親は離れた所に住んでいて、気軽に助けを求められる距離ではなかった。

 

そんな中、老健にいた父が昏睡状態となり緊急入院、集中治療室に入ったが、当然生後二ヵ月に満たない乳児を連れて入ることはできず、息子をどこかに預けなければならなくなった。私自身が一人っ子であったため、父の入院に関わることを頼める人もおらず、息子を預けられる身内もいなかった私を助けてくれたのは、車で十分程の所に住んでいる、高校時代の友人だった。三人の子供を子育て中の彼女は心良く息子を預ってくれて、彼女の子供たちも可愛がってくれていた。残念ながら入院からわずか四日目、息子の丁度生後二ヵ月目の日に、父は息を引き取った。

 

出産直後から、退院の世話、買い物、市役所への書類の提出等、私が動かなくてもいいようにと心配りをしてくれていた彼女には、何をどうお返しすればいいのかわからない程たくさん助けてもらった。

 

そんな想いを、葬儀の後、心配して訪ねて来てくれた彼女に話したら、笑いながら言ってくれた。

 

「お返しはね、私にしなくていいんだよ。あなたがまた元気に動けるようになったら、今度は他の困ってる人を助けてあげればいいんだよ。私も、子供たちが小さい時に手助けしてくださった方にそう言われたの。『自分が受けた恩は、社会へ返していけばいいんだよ。』って。」

 

その時の彼女の言葉が、私の心をとても軽くしてくれた。お礼やお返しの品を贈ることも、勿論大切な習慣だと思う。けれど、小さな思いやり、ささやかな心遣いなど、大袈裟ではなくなにげなくできることを、当たり前の普通のこととして、見知らぬ人同士ができたら、感謝の気持ちをまた別の人に形で現せたら、穏やかで温かい社会になるのではないだろうか。それは、仕組みとして誰かに強要されるものではなく、心の内から湧き出るやさしさの発露として。

 

(原文のとおり掲載しております。)