小さな助け合いの物語賞

入選(6編)

後ろ姿

古崎 優子

それは、小さな手だった。小学校の娘が、まだ赤ちゃんの頃の話だ。

 

ある日、ベビーカーを押して電車に乗った。昼下がりの車内は空いていて、ほっとひと息つく。サラリーマン、学生、年配の女性、制服の小学生、皆静かに座っていた。娘も大人しく、無事目的の駅に着いた。ベビーカーを押して歩くと、広くて長い階段の前に出た。娘とかばんを右うでに抱え、左肩にたたんだベビーカーをかつぐ。“絶対にころびませんように!!”と両足の親指にぐっと力を込める。降りようとしたその時、左肩がすっと軽くなった。見ると、小さな手がベビーカーをつかんでいた。「あれ?」驚いている間に、ランドセルを背負った男の子が、自分の背丈位のベビーカーをかついで、さっさと階段を下りはじめていた。慌てて「ありがとう。」と声を掛け、娘を両手でかかえ直して後を下りた。階段を下りきると男の子は黙ったままベビーカーを手渡し、かけ足で行ってしまった。背中に向かって、「ありがとう。」と再び言葉を掛けたが、照れ臭かったのか、一度も振り向かずに姿は見えなくなった。

 

小さい兄弟がいて、いつもああしてお母さんを手伝っているんだろうか。階段の上で、気合を入れている見知らぬ私に心をとめて、助けてくれたんだな。そんな事を考えながら娘をベビーカーに乗せた。抱っこが好きな娘がぐずらずに乗ったのは、私が嬉しそうに笑っていたからかも知れない。この子もいつか、誰かに小さな手を差し出せるようになって欲しい。そんな風に育てられたらいいな。そう思って駅を出た。

 

今、娘は丁度あの男の子と同じ位に成長し、ランドセルを背負って元気に登校する後ろ姿を毎朝見送っている。見知らぬ人に手を差し出すのは、とても勇気がいる。子どもならなおさら。照れ屋の娘を見ていて改めて思う。

 

あの子の顔はもう覚えていないが、走り去っていくランドセルの後ろ姿は、はっきりと覚えている。少しうつ向いて、とびはねる様に駆けていった後ろ姿。

 

後ろ姿の君、元気ですか?

 

あの時は、優しい勇気をありがとう。