小さな助け合いの物語賞

入選(6編)

その傘を見るたびに

矢野 敬子

いつもお世話になっている、ご近所のかたが追突事故に遭い、首を傷められたとのこと。何かお役に立ちたいと思い、飼っていらっしゃる愛犬ゴンの散歩に行かせていただくことにしました。

梅雨の最中、雨が止むのを待って、「今がチャンス」とばかりに4歳の息子と犬のゴンを連れ、外にとび出しました。今にも雨が降りそうな黒い雲の下でしたが、30分ほど散歩をして、帰ろうとしたところでポツポツと大粒の雨が降り出してしまいました。

雨は激しさを増し、あとわずか200mほどのゴンの家までも帰ることができず、目の前にあったパチンコ店の入り口で雨宿りをさせていただくことにしました。すでにびしょ濡れになった親子と犬。雨が激しく吹き込んではまた濡れ、半泣き顔の息子。ゴンが何度もブルンと体を揺さぶって雨水をまき散らすので、パチンコ店の自動ドアが無意味に開閉を繰り返す。

そんな様子を駐車場の車内から見ていたらしい女性が、激しい雨の中を傘とタオルを持って走って来ました。「私にも同じくらいの孫がいるの。もし孫がこんなに濡れて風邪でもひいたらどうしようかと思って・・・」と大事そうに息子と体をタオルで拭いてくださいます。すると今度は数枚のタオルを持って、パチンコ店の店員さんが「使ってください」と店内から出てきてくださいました。出入口で騒動をしていたものですから、私たちの様子が監視カメラにでも映っていたのでしょう。

天候が不安定であるにも拘らず、何の準備もなく出かけてしまったことを恥ずかしく思いながら、私は「すみません」と「ありがとうございます」を繰り返すことしかできませんでした。女性は私にも優しく「お母さんも風邪をひかないでね。傘はこのまま使ってくれれば良いから」と言って立ち去られました。

雨足が弱まり、女性から借りた傘をさして家に帰り着きました。犬のゴンは泥だらけ、私たち親子もびしょ濡れでしたが、優しい心を持ったお2人に助けられ、本当に嬉しく幸せな気持ちになりました。

後日、パチンコ店にはタオルをお返ししましたが、女性には再びお会いする術がなく、傘をお返しすることができません。少し骨が曲がってしまっているのですが、大切に置いてあります。その傘を見るたびに、あの雨の日のことを思い出し、いつか私が誰かに傘を差し出すことが、あの女性への恩返しになるのではないかと思っています。