小さな助け合いの物語賞

入選(6編)

「あたりまえ」であるということ

佐々木 理恵

今年度から社会人として生活を始めた私は、学生時代の比ではない程、毎日のように「小さな助け合い」を実感し、その大切さを再認識させられています。

先月から、私の働く支店に耳の聞こえない方が異動してらっしゃいました。職場の人達とは筆談で会話したり、ボディランゲージでコミュニケーションをとったりと、楽しく一緒に仕事をしています。

ある時、私はふと、彼女が仕事をする上で気をつけているであろうことに気がつきました。それは「物を置く時、とても静かに置くこと」、「話し掛ける時は必ずその人の視界に入ってから肩を叩くこと」、「同じ空間にいる人が今何の作業をしているかしっかり把握していること」でした。それと同時に、私達自身も、彼女が仕事をしやすいようにサポートしたり、彼女の作業に気を配りつつも、本来の自分達の作業を効率的に回す為に行動するといったことが、誰かがそう指示したり、示し合わせたりということなく、自然にできていたということに気がつきました。更に、彼女が休みの時でも、彼女がこの支店に来る前よりももっと、お互いに気を配り合って仕事をするようになれたという実感があります。

「耳の聞こえない彼女にとっての当然の気配り」と、「サポートする私達にとって当然の行動」、お互い当然だと思っていることですが、私は、これこそがとても大切な「小さな助け合い」の一つの形ではないかと考えます。ハンディのあるなしに関わらず、無意識で相手を助け、知らず知らず相手を助けている、そんな関係を築けることはとても素晴らしいことではないでしょうか。

私はこのことに気づかせてくれた彼女に、とても感謝しています。これから何年先でも、社会で生きていくのにとても大切な「小さな助け合い」の一つの答えを見つけられたことは、私の人生において、大きな財産になりました。