小さな助け合いの物語賞

入選(6編)

盲導犬と女子高生

中島 千雄

一言で助け合いといっても、災害時の救援活動、病人の介護、炊き出しのボランティア等々、善意を表はす方法は多々有ると思いますが日頃の無意識な行動が小さな助け合いになっている事も忘れてはいけないと思っています。

所用で東京に出る日、平塚駅から電車に乗った私は、車両の中に入っていくと四人掛けの座席に女子高生の四人組が大きな声で喋っているのが目につきました。茶髪の娘、ピアスをした娘、私は内心(学校にも行かずに)と舌打ちをしたい気分になりました。

次の停車駅、茅ヶ崎に着くと盲導犬に誘導されながら初老の婦人が乗ってきました。その姿を見ると茶髪の娘が「おばさん、ここに座りなよ」と席を立ったのです。

「おぢさんも座れば」、その声につられるようにピアスの娘が私に席を譲ってくれました。気がつくと四人共立ちあがりまるで模様替えでもしたようにその席は私を含んだ初老の四人と入れ変っていました。

「学校は休みなの」、私は気になっていた事を聞いてみました。

「ううん、今日はテストで二時間だけ」

およそ敬語とは縁遠い会話でしたけれど、私は邪推したことを心の中で謝りました。

「カワユイ、このこおとなしいじゃん」と手を出そうとした娘に。

「だめ、あんた知らないんだ盲導犬は訓練を受けてるから飼主以外は矢鱈に餌をやったり触ったりしたら駄目なこと」と、物知り顔でもう一人の娘が言った。

優先席で寝たふりをする者、平気な顔をして携帯電話で長話しをする者がいる中で、たとえ盲導犬の知識に乏しくてもその娘達ちの些細な行いがその場の雰囲気を変えたのです。私は、そんなところに助け合いの原点をみたような気がしました。

横浜駅に着くと娘達は元気よく

「バイバイ」。「おばさんをちゃんと連れていくんだよ」。と犬に声をかけ降りて行きました。

盲導犬の側で見えぬ目をした婦人が誰れにともなく言ったのです。

「根はいい娘たちですよ声が明るいもの」と。卒業する頃までに元の黒髪に戻っている事を私は信じることにします。

人は誰れでも心のどこかに優しさを持っている筈ですその優しさの芽を育てるのは助けられるばかりの私達老人の義務だと復習しながら人を外見で判断した自分を反省し目的地に向いました。

細い舗道をすれ違う時、道を譲る者譲られる者お互いが一言「どうも」という言葉を忘れている人が多くなっていると思いませんか。もう一度「どうも」の言葉をみんなが思い出しましょうよ。