小さな助け合いの物語賞

優秀賞(4編)

棺と桜

南方 洋一朗

仕事で?・・・そんな気持ちは涙を見て消えた。

3・11東日本大震災の発生直後、私は部下の警察官と共に大津波で甚大な被害を受けた宮城県の沿岸部に派遣された。激しい余震と怪物のように立ち塞がる瓦礫の中をバール一本を手にして少しでも生存の可能性がある被災者の捜索に必死であたった。だが現実は厳しく、発見するのは夥しい数のご遺体ばかりで、いつしか私達の任務はそのご遺体を安置所へ搬送し、検視という死因を特定する作業の後で白い棺に納めていく悲しい任務が主なものとなった。被災地で臨時のご遺体安置所となった小学校の体育館は、自分の親、子供、孫はいないかと安否を確認に訪ねて来られる被災者で埋まった。不幸にもその予感が的中して遺族の方々の悲鳴、号泣、慟哭は安置所を満たし、これまでの警察官としての人生の中で一番悲惨な現場を体感することになった。

私達が現地入りして三日目。その日も沿岸部に漂着したご遺体を納めて皆で合掌していた時、安置所の片隅から私達が今、納棺した方に向かって、同じように合掌される二人の姿があった。二人は老夫婦で、私達が目礼すると、二人はおずおずと私のいる所に近ずいて来られ、ご主人の方が話しかけてきた。

「お世話様です・・・質問していいですか?」お二人とも津波で流されたが命だけは助かった。しかし息子さん夫婦達が行方不明で安置所を訪ねてきところ、悲しいことに息子さんのご遺体と対面された。行政職員の説明では車の手配はできるが葬儀会社は被災者が殺到して家まで搬送する人間はいない。二人は高齢で運ぶことは無理なので他に運んでくれる機関はないだろうか、ということをお二人は訥々とした東北弁で涙ながらにいわれた。

何とかしてあげようと即断した。本来は主任務は捜索現場と安置所との往復に限定されていたが、現場の責任者は私だ。仕事でなく使命、人間としての使命だ。だから冒頭に記した「仕事で?」という気持ちは息子さんを亡くされ、他の家族の方も行方不明で涙を流されているご夫婦の姿を前にして消し飛んだ。高齢のお二人に代わってご自宅に帰してあげようと部下に話した。皆、快く頷いた。

手配したライトバンが到着し、私達は六人で息子さんが眠る棺を捧げるように手にし、静かに横たえた。かろうじて壊滅を免がれたご自宅の居間の奥に棺を配置した時、空耳ではなかった。私にははっきりと耳元で聞こえた。(ありがとう・・・)という男性の声を。

全員で合掌し終わった時、ご主人は、

「縁もゆかりも何もないお巡りさん・・・こんなことまで頼んじまって・・・お世話様です・・・」と涙を流していわれ、傍らの奥さんからも深々としたお辞儀をされた。車で私が去る時はご近所の方々まで輪となって見送っておられた。今、あの人達は一体どうしているだろう。

最後に私が車窓から振り返ると、皆さんの周りに桜が蕾をつけているのが見えた。東北の遅い桜はまるで復興を予言するようだった。