小さな助け合いの物語賞

本仮屋ユイカ賞(1編)

オーストラリアでの東日本大震災

梅嶋 伽奈

東日本大震災が起きた2011年3月11日。

私は大学の研修に参加し、オーストラリアのキャンベラという都市にいました。夜の7時頃大学から帰った私に、ホストマザーは深刻な顔で数時間前に日本で大きな地震が起きたことを知らせてくれました。私が事の重大さを把握していないまま、テレビのニュースを見ると、そこには巨大な津波が襲ってくる衝撃的な映像が盛んに流れていました。ショックで呆然としている私にホストマザーが家族と連絡を取るように言ってくれました。電話はすぐにつながり、母が家族は全員無事であることを伝えてくれました。私はそれを聞いて少しだけ安心したのですが、海外にいる心細さもあって日本の悲惨な状況が頭から離れず、その夜はずっとニュース番組を見ていました。涙が止まらない私をホストマザーはずっと慰めてくれました。

週が明け、月曜日。私は専攻の幼児教育を学ぶため、一人で学内にある幼稚園を訪れました。もう何日も見学させてもらっていた園で、スタッフの方は私が日本からきていることを知っていましたが、普段はお忙しく、勉強面以外ではあまりお話することはありませんでした。しかし、その日は園につくなり多くの方が私に話しかけ、落ち込みすぎないようにと本気で心配したり慰めたりしてくれました。私はその時はじめて一般のオーストラリアの方々の中にも日本の地震で心を痛めてくれている方がいることに気が付きました。帰りも「pray for Japan」と書かれた紙を学内のいたる所で見ました。

そして、何日か後の大学の昼休み、日本人の友達と中庭を歩いていると今度はオーストラリアで知り合った友達が机を広げ、日本のために募金を呼び掛けているのを見ました。自分と同じただの一学生に過ぎない、そして日本人ではない彼らが日本のために暑いなか行動してくれていました。そして、見知らぬ現地の方々が寄付をしてくれていました。本当に心が暖かくなると同時に頭の下がる思いでいっぱいでした。募金活動をしてくれた彼らが日本を好きなことは知っていましたがそうはいっても遠い外国のことです。彼らの行動は私にとって驚きでした。そして彼らは、私たちが帰国した後も活動を続けてくれていました。

彼らの集めてくれた募金額は、ニュースになるほど大きなものではありません。この行動自体、知っている日本人は私と共に研修にいった人たちだけです。それでも、私たちの知らないところで日本のために小さな活動をしてくれた方々がいることを大勢の日本人に知ってほしいと思います。「がんばろう日本。がんばろう東北。」という言葉をよく耳にしますが、頑張っているのは日本人だけではありません。私たちは知らないけれど、世界中で震災に心を痛め、復興を祈り、日本を助けようとしてくれた方たちがいました。本当に感謝してもしきれない出来事です。