小さな助け合いの物語賞

優秀賞(3編)

手助けリレー

宮崎 満

仕事が早く終わったので街を散策して歩き、行き着いた公園のベンチに座って休んだ。夕暮れ時、芝生の広場には追いかけっこをする子供達や犬を連れた人々がいて、私は都会の喧騒を忘れ、のどかな雰囲気に浸っていた。

と、芝生の向こうから小学校三年生位の女の子がお婆さんと手をつないでやってきた。女の子はお婆さんに歩調を合わせ、ゆっくり、ゆっくり歩いている。

ばあばとお散歩か、いいねぇ。

私は、ほのぼのと見ていた。ところが二人が近づいてくると、女の子の表情がこわばっているのが分かった。辺りをきょろきょろ見回して、何だか焦っている。

トイレでも探しているのかな。

おせっかいかと思ってちょっと迷ったが、思い切って声をかけると、女の子がすがるように訴えてきた。

「このおばあちゃんね、おうちが分からなくなってしまったらしいんです」

少し腰の曲がった小さなお婆さんは、ちょっと不安げでうつろな表情をしていた。

お婆さんをベンチに座らせ、女の子に事情を聞くと、お婆さんは赤信号に変わる寸前の横断歩道の真ん中で立往生をしていたそうだ。通りすがりの女の子が見つけて、慌てて連れて渡った。全く知らない人だという。

ふと女の子の持つ学習バッグの中に、算数のテキストが見えた。聞くと、塾へ行く途中だった。五時から始まるという。十分前だ。

「早く行きなさい。後は任せて」

私は思わず言っていた。女の子はためらったが、私に礼を言うと慌てて走って行った。

お婆さんを引き受けてしまったものの、さて、これからどうしよう。

幸い、お婆さんの持っていた巾着袋の裏に住所と名前が書いてあった。

とは言っても、ここは私にとって不慣れな土地。朝晩、駅と職場を往復するだけなのだ。

とりあえず、交番を捜すことにして、「さあ、いきましょうか」と声をかけると、お婆さんがしっかりと手を握りしめてきた。

「大丈夫、すぐ見つかりますよ」

私は、自分を励ますように呟いた。

公園を出たところで犬を連れた中年の女性に交番を尋ねると、場所を教えてくれた後に「どうかしたんですか?」
と、お婆さんと私を見て心配そうに言葉をかけてくれた。

事情を説明し住所を言うと、知っている場所だった。ここからだと歩いて三十分もかかるそうだ。女性は自分の家までお婆さんを連れて帰り、車で送ってくれると言う。ありがたや!私は、お言葉に甘えてお願いした。

帰り道、私の心はいつになく温かい気持ちに満たされていた。ちょっとした声のかけ合いが人と人を結びつける。思い遣りというバトンでつながっていくのだ。

最初に老婆を助けた少女の、勇気ある透き通った優しさが眩しく見えた。(了)

「お陰様で。」−老女が教えてくれた日本の心−

飴谷 彰子

「お陰様で」電柱に向って老女が深く一礼。私にはそう見えた。降り始めた小雨の中老女はピンと背を伸ばし、そう言うと雑踏に白杖をつきながら静かに消えていった。押しボタン式信号機のある交差点での出来事である。私はお客様との約束の時間が迫っており、目の前をのろのろと歩くこの老女を内心疎ましく感じていた。追い越そうと老女の横に並んだ瞬間老女の白杖が目に入ったのである。はっとして人込みを掻き分けようと怒らせていた肩の力を抜き、左手が自然に老女の背中を対岸へと誘った。私達が交差点を渡り切るや否や待ってましたとばかりに車が水溜りの水を蹴散らしながら行き交う。ほっとして一息つき、老女の背中から手を離した時だった。

「お陰様で。」

私にではなく目の前の電柱に老女は深々と頭を垂れた。「違うんです、おばあさん。私ちょっと前まであなたのこと疎ましく思っていました。」声にはできない申し訳ない想いが喉に絡む。この人は一生のうち何度こうして「お陰様で」を言ってきたのだろう。人は情報の90%を目から得るという。目の見えない不安と焦立ちを、他人に助けて貰って生きなければならない切なさをこの老女はどんな想いで乗り越え、そしてこんなにも清清しい「お陰様で」が言えるようになったのだろう。老女が消えていった雑踏をみつめながら私は雨ではない熱い滴に頬を濡らした。老女は私にではなく、きっと自分を生かさせてくれるこの世の中全てにお陰様で、と頭を垂れたのではなかったのか。「おばあさん、私の方こそお陰様で大切なことに気づかせて頂きました。」届かぬ想いとは知りつつ、私も深く老女に一礼を返した。雨など気にならない程爽やかで優しい気持ちが胸一杯に広がった。

連日、東日本大震災で被災された方々の様子が放映されている。水やたった一個のおむすびに「有難う」「お陰様で」と深々と頭を垂れる方々に、私はあの老女の姿が重なる。一瞬にして家も家族すらも失って途方に暮れる中、それでも小さな親切に、「有難う」「お陰様で」と感謝できる日本人の謙虚さと秘められた心の強さ。外国のメディアが挙って絶賛したその静かな直向きさ、真の気丈さに私達は日本の心を見、勇気づけられ誇りすら感じた。人は、大切なものを失い悲しみのどん底に立たされた時、初めて他者への労りや感謝の本当の意味を知り強くも優しくもなれるのであろうか。私が生きてこられたのは誰かのお陰。人は人に生かされている。今自分が頑張れるのは周囲の人のお陰。おばあさんのメッセージ、私ちゃんと受け取りました。支え合ってこそ人間。私に出来る小さな親切なら喜んでさせて頂こう。そして親切を受けたなら相手がびっくりする位の「お陰様で」を伝えよう。「お陰様で」の心が自分も他人も幸せにするのなら、これからは私がその心を大切に生きて周りの人に広げよう。降り止んだ空に私は微笑み胸を張って歩き出した。

時計のおじさんと呼ばれて

早川 多佳子

「オッ・ハヨー↑」 文字で表現をするのは難しいが、こんな感じだろうか。

朝の爽やかな空気の中、ひときわ大きな声が、辺りに響き渡る。それは、小・中学生の登校時間に通学路に立つ、81歳の父のトレードマークとなった、朝の挨拶である。

7時40分、色鮮やかな黄色の蛍光色のベストに、ロゴ入り帽子、腕章。父は、三種の神器(と、私は呼んでいる)を身に付け、いざ出陣!

「オッ・ハヨー↑」 少し登校時間の早い中学生は、父の大きな声の挨拶に恥ずかし気に、「おはようございます。」と返す。「今日からテストだね。落ち着いて問題解くんだよ!。」「部活の調子は?」「風邪、治ったか?。」などと、声をかけていく。出勤するスーツ姿のお父さん達からは、挨拶とともに、「ご苦労様です。」と声をいただく。

元気一杯の小学生からは、「時計のおじちゃん」と呼ばれ、「今、何時?」と父の立つ40分間に通って行く子が、次々と聞いて行く。ここから小学校まで、約10分。「急がなきゃ遅刻する−!」と駆け出す子も多い。時には、石を蹴りながら右に左にと、なかなか先に進まない子に付いて、校門まで送り届ける。

父が、地域の年長者で構成される「見守隊」の一員となり、子供達の安全な登校を見守るようになって、10年が過ぎた。

しかし、私は、この子供達のための「見守隊」の活動が、実は、世代交流となり、父をはじめ年長者の元気の源となっていると思えてならない。大きな声を出す。話しかけ、学校の様子や日々の生活を聞かせてもらう。時計のおじさんとして頼りにされる。そのことが、どれ程父に活力を与えてくれているか。小・中学生は知らないだろうが、君達は、父や他の「見守隊」の年長者に、若く元気なエネルギーを、毎朝与えてくれているんだよ。

「ありがとう!!」 父と会話する小・中学生に、感謝している。今日もエネルギーたっぷり充電して、父は一日、元気一杯だよ。

三世代同居という家庭は、今の日本には、本当に少なくなっている。血の繋がったおじいちゃんではないけれど、父は、我が家の前を通る小・中学生のおじいちゃんの気持ちでいると思う。挨拶を返さず何度も「おはよう。」を繰り返し言うと、「クソジジィ!!」と言って走っていく子がいたが、その子も可愛い。「おじちゃん、中学生になったよ。制服どう。似合う。」と立ち止まり、見せてくれる女子中学生も、また可愛い。時がたち、高校生、大学生になった子や、社会人となり、家庭を持ち、子供を抱いた子から、「おじさん、まだ頑張って立ってくれているんだね。」と、声をかけてくれる。父には、何より嬉しい声かけである。

まもなく夏休みが終わり、新学期が始まる。また、父の「オッ・ハヨー↑」の大きな声が響き渡ることだろう。そんな日が、ずっと長く続いてくれることを願っている。