小さな助け合いの物語賞

優秀賞(3編)

夏の思い出

神野 優子

突然のひきつけだった。

 

近くの港で花火大会があるから、と夫と小学一年生になったばかりの息子をつれてなれない地下鉄に乗っているときだった。

その日は朝方から気温が高く、テレビニュースでも熱中症に気をつけるようにしきりに警告していたようだったが、まるで他人事のように聞き流していた。

地下鉄に揺られ、しばらくたったとき、息子はう〜ん・・とつぶやくと私と夫に身体を投げだして横になってしまった。

お行儀が悪いわよ、と声をかけようとした瞬間に、息子の体はまるで魚が、ぴちぴちと跳ねるようにけいれんを起こし始めた。

突然の事態に私も夫も、思わず悲鳴をあげてわが子のからだを抑えつけた。他の乗客たちは、呆然と事の成り行きを眺めているだけであった。その時、70歳くらいの女性が、揺れる電車の中を必死で歩みよってきてくれた。

「お母さん、腕時計でけいれんの間の時間を計りなさい。お父さんは子供の体のどこがひきつれているか、観察を!」

よどみのない声に私たち夫婦は、その女性の指示に従った。

おそらく4・5分の間の出来事だったと思うが、それは永遠につづくような恐怖の時間だった。

けいれんが止んだ息子は白目をむいてぐったりしている。

女性は私の肩をそっとさすって「しっかりしなさい。おそらく熱中症でしょう。大丈夫よ」ときっぱりと告げた。

 

電車が次の停車駅名をつげると、女性はまっすぐに夫の目をみつめ、「ここで降りて、西口出口に向かいなさい、途中駅員がいたら助けを求めること。西口出口前に小児科もあるクリニックがあります。そこへ、すぐにいきなさい」つぎに女性は私の顔をきりりと眺め、「あなたはすぐに冷たいペットボトルを数本かいなさい。そして坊ちゃんのわき腹やひざ裏をひやしながら走りなさい。」

返事もできないままにうなずいて聞いていると、電車は駅についた。

女性は乗客たちを振り返ると大きな声で言い放った。

「入り口をあけなさい!」

女性の声で乗客たちが我に返ったように入り口付近から、ざざっと身を引いた。

私たちはぐったりとしている息子を抱え、電車を飛びおり、一瞬だけ車両を振りかえった。

女性は車中の窓側にたち、こちらを眺めてにっこりとほほ笑んでいた。大丈夫よ。早く病院へつれていきなさい。そう言っているのがわかるような凛とした笑顔だった。

指示通りのクリニックへ飛び込み、やはり熱中症にかかってしまっていた息子の応急処置を終えたとき、助けてくれた女性の名前も住所もきいていないことに気がつき、私たち夫婦は呆然としてしまったのだった。

 

息子はその後、何の後遺症もなくすくすくと育っている。

人を助けることに戸惑いは不要なのだ。しかしそれは決して簡単なことではない。

暑い夏を迎え、熱中症のニュースが流れるたびに、私はあの女性を思いだし尊敬の念を新たにしてしまう。

繋がれた手、救われた命

今田 尚揮

風の強い日だった。小学校四年生だった僕は学校の帰り道、帽子を風で飛ばされてしまった。そこは橋の上。お気に入りの阪神の野球帽は風に乗って橋の下に飛んで行った。祖父に買ってもらったばかりの大切な帽子。なくすわけにはいかなかった。僕は走って橋を渡り、川岸に続く急斜面を駆け下りた。

すると帽子は川の中州にある木の枝に引っかかっていた。僕はズボンをずぶ濡れにしながらも中州に向かって突き進み、なんとか辿り着いた。木登りの得意な僕は、登って取る自信があった。

ゆっくりと登り、帽子の引っかかっている枝に乗った。少しずつ距離を詰めていく。帽子は目の前だ。手を一杯に伸ばして手が触れたときだった。メキメキという音とともに枝が折れ、僕は頭から逆さまに川に落ちた。一瞬パニックになった。それほど深くなかったはずなのに、僕は流されてしまった。たくさんの水を飲んだ。もがいても、もがいても川の流れはそれ以上に強く速く、どうにもならなかった。「助けて!」と必死で叫んだが、思うように声が出ない。しかし流されながらも、川の真ん中に突き出ていた岩にしがみつくことができた。

深さは胸まである。流れは急だ。動けない。するとそのとき、川岸から声がした。

「大丈夫か!今行くからな!絶対離すなよ!」

釣り人らしきおじさんが、偶然見つけて助けに来てくれたのだ。川の中を一歩一歩、こちらに向かってきてくれたのだが、途中で足を滑らせ、一瞬で五メートルほど流された。おじさんは自力で這い上がり言った。

「ボウズ!俺だけじゃ無理だ!今人を呼んできてやる!大丈夫だ!負けるなよ!」

おじさんが去って行った後、永遠とも感じる時間が流れた。腕がしびれ始め、思い出が走馬燈のように駆け巡った。もうダメかもしれないと思ったとき、さっきのおじさんを先頭にして、たくさんの人が次々と土手を乗り越えて駆け付けてきてくれたのである。エプロン姿のおばさん、タクシーの運転手、道路工事の作業員さん、ランニング中だった部活の高校生。スーツ姿のサラリーマンもいる。総勢約二十人。口々に大声で励ましの言葉をかけてくれ、僕は気力を取り戻した。

すると皆が一列になり、手と手を繋ぎ合わせた。ひとりひとりの助け合いの心がひとつに繋がり、僕の命を救う大きな力となった。命綱となった人の鎖が絆となって僕を救い出してくれたのである。拍手と笑顔で皆に迎えられた僕は、すぐに救急車で運ばれ、ろくにお礼を言うこともできなかった。

それから十三年後、僕は地元の消防団に入団した。あのときの恩を社会に返していきたいと思ったのである。助け合いの気持ちは必ず人に伝わる。人から人へ伝わって、それが大きな輪となったとき、社会はもっと素晴らしくなるだろう。いつか巡り巡って、あのとき僕を助けてくれた人たちに届いてほしい。

助け合い…心の鏡を磨いて

千葉 汐音

「痛い…痛いよう…」

ぼくは一瞬に起こった思いもよらない怪我に、このあと約二カ月、苦しむことになった。父の実家に行った時、いつもと違う環境が楽しく、解放感いっぱいになって遊んでいて、ふと気がゆるんだ瞬間に、その事故は起きた。

利き腕である右手の自由を奪われて、ぼくは毎日が憂うつだった。食事をするのにも、字を書くのにも、入浴のために服を脱ぐことも体を洗うことも、生活の何もかもが左手ではうまくできないし何倍も時間がかかった。今まで何気なく使っていた右手が動かせないことが、こんなにも不便で苦しいことだということを、怪我をして初めて知ったのだ。

もう一つ気付いたことがある。ぼくが右手にギプスをして学校に登校したその日から、ぼくの周りの様子が変わった。友達が、休み時間の度に「大丈夫?」と声をかけてくれ、机から教科書を出してくれたり、箸を使えないぼくのために給食室からスプーンをもらってきてくれたり、掃除の時にぞうきんをしぼってくれたり、ぼくがお願いしたわけでも先生に言われたわけでもなく、やってくれたのだ。友達の優しさと思いやりの心にふれる度に、胸の奥がふわっと温かくなった。ぼくは毎日何回も「ありがとう」の言葉を言った。

リハビリに通って、何とかぼくの右手は普段どおりに動かせるようになった。そんなある日、スーパーでぼくがエレベーターに乗る時に、足を引きずるようにして女の人が走ってきた。その走り方を見て、「足が不自由なんだな。」と分かった。ぼくはエレベーターの『開』のボタンを押し、心の中で「ゆっくりでいいから、転ばないで。」と思って待っていた。それまでのぼくだったら、そんなことはしなかった。体が不自由なことがどんなに大変かということが、少し分かるようになったのかもしれない。

そして、女の人から「ありがとうございます。」と言われた。何だか恥ずかしいようなくすぐったいような、不思議な気持ちになった。ぼくは、「親切は『しても』『されても』嬉しいものなんだな」ということに気付いた。そして身近にある「小さな助け合い」「さり気ない親切」がどんなに素敵なことなのかが分かった。

怪我をしたことは大変だったし、もう二度とあんな失敗はしないぞと心の底から思う。けれど、怪我をしたからこそ気付くことのできた、ぼくの周りとぼく自身に起きた、たくさんの素敵なできごとを考えると、決してマイナスばかりではなかったのかなとも思う。

日本には「お互いさま。」という言葉がある。親切に対するお礼の言葉「ありがとう。」に対しての返事。とっても美しい日本語だ。ぼくは「お互いさま。」をたくさん使える人生にしたい。心の鏡がにごらないように、いつでもピカピカに磨いていたいと思う。「助け合い」でつながる、人と人との心の交流を通して。